捜真小学校に来てよかった−(6年生) ぼくは捜真小学校に来て、よかったと思います。それは、六年生になって、チャペルのパイプオルガンがひけるようになったからです。六年生のはじめの時、音楽の時間でオルガン見学をする事になった時、「やっとこの時が来たんだ。」とすごくうれしかったです。ぼくは、一年生のころから、パイプオルガンを「ひきたいなぁ」と思っていたからです。まず初めに、パイプオルガンの裏側を見ました。裏にはたくさんパイプな並んでいて今まで見た事のない光景だったのでおどろきました。 次に、ついに自分でひいてみる事になりました。ぼくは、オルガンの前にすわりました。その時すごくオルガンが大さくかっこよく見えました。ぼくの心は、わくわくしながらも、すごくドキドキしていました.けんばんに手をふれた時のかんしょくがたまらないほどうれしかったです。ひいた時のかんしょく、ひきぐあい、さわりごこち、なにからなにまで、文句なしで、大満足でした。ぼくはその時「またひきたい.」とすごく思いました。 それから、いつもオルガンの奏楽は、立候補しています。この学校でしかでさない、すてきな体験ができて、ぽくはとても幸せです。
最高! (6年生) 「おはよう…」 私はみんなに声をかけた。みんなも、 「おはよう!おっは−」 と、いってくれた。私は、この日をずっと待っていた。なぜかというと、卒業記念旅行だから。 私は、六年生になるのをとても楽しみにしていた。私は、その半面、変な欲望もありた。「一年上がるごとに学年で旅行があったらいいな−。」と、有り得ない事も考えた。 私は、そう思いながらも、いつのまにか、新幹線や電車に乗ってて二、三時間で三重県の志摩スペイン村という遊園地に着いた。私は、 「早く乗りたい−!一分でも早く乗り物に乗りたいよ−。』と逸る気持ちをおさえられなかった。 先生が、「集合時間になったらここに集まるように。」と、いった。 みんなも早く乗りたいのか乗り物を目指して走った。本当は、斑で行動しなければいけないのにいつのまにか色々な人と乗っていた。男子とも乗った。となりは男子だった。 「この人達と同じ学年でよかりた。六年、私の学年がこのメンバーでよかりた。なんか、やっぱりこの学年は最高!」と私は思った。 小学校を卒業しても仲良くしていきたい。
楽しかったジョイフルタイム(6年生) ぼくが、六年間でとても印象に残った思い出は、四年生の時から始まつたジョイフルタイムです。ぼくは、ジョイフルタイムで、絵画クラブに入りました。絵画クラブは、牧野先生が担当で、まず油絵をすることになりました。水彩画しか描いたことがなかったぼくは、油絵の具でかく新しい絵を知りました。 次に、ステンドグラスをやりました。二週間ぐらいで完成して、家に持って帰って、自分の机にかざつておきました。今見てもとてもきれいです。そして、六年生の造形で、ステンドグラスをやって学習発表会の作品に出すことになりました。ぼくは、一度やったことがあったので、楽しくできました。それでも、やっぱり上手な人がいて、学習発表会の時に、いっしょに楽しみました。ぼくは、四年生から六先生までずっと絵画クラブにはいっていましたが、一番楽しかったことは、造形室の外の授真小学枚の屋上に、落書きをしたことです。牧野先生が自由に落書きをしていい、と言ってくれたので、絵画クラブのみんなで、いろいろな色のチョークでジョイフルタイムの時間を全部使って落書きをしました。とても楽しかったです。ぼくは、絵画クラブに入って本当に良かった、と思いました。
私の捜真小学校での六年間の思い出で一番心に残っていることは、特別クラブです。私は、特別クラブに、四年生の時から入っていて、トランペットを吹いています。 最初は、特別クラブに入るのがなぜかいやでしたが、やっているうちにだんだんと楽しくなってきて、 「早く特別クラブの日にならないかなあ。」と思うようになつてきました。 四年生の時に覚えることは沢山あって、その中でも指番号を覚えるのが、とても大変でした。ドレミファソラシドの音階を吹くだけでもいちいち譜面に書いた指番号を見ないとわかりませんでした。 私が四年生、五年生の時のパートリーダーがすごく頼もしかったので、私もそんなパートリーダーに憧れて、六年生になってパートリーダーになることが出来ました。パートリーダーというのは各パートのリーダーで、みんなをまとめたり、譜面を教員室までとりにいったり、いろんな事を教えなければいけないので、とても大変です。しかし合奏の時、心を一つにして、すばらしい音が出た時などは、これまでの苦労がとんでしまいます。 これからもトランペットと一緒に音楽を楽しんでいきたいと思います。

特別クラブに入ってよかった(6年生)