自ぜん教室(2年生) ぼくは、自ぜん教室に行って、外でサッカーをたくさんしました。それで、ちょっとけんかもしました。けれど、すぐなかなおりもしました。あと、やきゅうもしました。虫とりも、友だちとたくさんしました。こうろぎとか、ばったとか、かまきりをつかまえました。かまきりは、とても小さかったです。あと、くもも、自ぜんの中だから、たくさんいました。くもは、おしりから糸を出していたのでふしぎでした。あと、まゆが十こぐらいありました。まゆはなんで白いのかなと思いました。まるくて、かわいかったです。竹とかがあって、みどりがすごくきれいでした。竹やぶがあったので、中にはいったら森みたいでした。とても、すごかったです。ぼくは、自ぜんってすごいんだなと思いました。自ぜんはとても、たのしいとも思いました。自ぜん教室のペットが、二だんペットだったので、とてもうれしかったです。
せかいは友だち(2年生) せんそうは、いやなことです。なぜなら、人がしぬからです。大空しゅうがおわっても、たぶんあたりはもえていたと思います。川にとびこんだ人も、水や空気があつくて死んでしまつたと聞きます。人が死ぬのは、きらいです。ぼくはせんそうのけいけんはないけれど、二どとやってほしくありません。テレビなどで、今もせんそうをやっている国があることを知っています。そして食べものや家もなく、お金ももちろんないということです。 ぼくは聖書で「てきをあいしなさい」と教えてもらいました。せかいは友だちだと、ぼくは思っています。かちまけなんかかんけいないと思います。ぼくは、食べものや家のない人のために、けん金 をささげているつもりです。 そうしん小学枚や女学枚がもえてなくなってしまったら、もう、じごくです。地きゅうが、火のほしになってほしくないとつよく思います。
スポーツに親しむ会(2年生)
たまいれは、よ行れんしゅうのときに、かるくなげて、ぼんぼんはいったので、自信があった。わたしは、本番のときも、かるくなげて、入ったので、びっくりしました。一回せんは白ぐみがかちました。でも二回せんは赤ぐみが、かちました。どつちもがんばったんだなあと思って、わたしは安心しました。さいごに、リレーのせん手として走りました。わたしにパスする一年生は、いつもより、はやかったです。よ行れんしゅうのときは、三位だったのに、本番で二位でした。よ行れんしゆうのとき、二人をどうしてもぬかせなくて、でも、がんばっていたので、いいと思っていたのですが、本番は、すごいがんばりでした。 わたしは「人間ってかわるんだなあ」と思いました。「やっぱりキリスト教の学枚に来てよかった。」だから、人はかわることや、いっしょうけんめいの心になると、いいことになるなどと考えられるのだと思いました。こんなこと、知らなかったかもしれません。さいごの、点数のはっぴょうのとき、白ぐみが、かちました。でも、みんなでカをあわせて、やったんだから、点数なんか、だいじじやないと思いました。
聖坂のお友だち(3年生) 六月十九日に、聖吸との交流会をしました。聖坂の子の中で、口でうまくしやべれないお友だちが一番多かったです。ぼくとペアの子は、口でうまくしやべれませんでした。でも、トランポリンをする時、うわばきもくつしたもちゃんとぬげたし、トランポリンでも、うまくジャンプしていました。リズム運動でもなれているのか、どこかへ行ってしまったり、すわりこんだり、ないてしまったりはしませんでした。「聖坂エクスプレス」でも、山もちゃんと登れたし、Uターンもちゃんとできました。ただ、走れないだけでした。でも、そのくらいしょうがないのです。 聖坂の先生からマカトン語を教えてくれました。それには、ちゃんと意味がありました。たとえば、「始まる」は「ドアが開く」、「終わる」は、「まくがとじる」というふうなぐあいです。それぞれ意味がある事を初めて知りました。今度、十一月に、二組との交流会が捜真でおこなわれます。その時、ペアになったお友だちに出会ったら、また、一しょに遊んでみたいです。

